2007年09月17日

麻生太郎の経歴

※なお、この記事はWikipediaを元に個人的なコメントを加えたものです。

麻生 太郎(あそう たろう、1940年9月20日 ‐ )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。自由民主党幹事長。

外務大臣(第137・138代)、総務大臣(第3・4・5代)、国務大臣(経済財政政策担当)、経済企画庁長官、自由民主党政務調査会長、麻生セメント代表取締役社長を歴任。


人物像

家庭環境

麻生財閥の元社長。名門一家に育ったが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。

将来は経営者になるべく、スタンフォード大学大学院へ留学する。しかし、祖父の吉田茂にアメリカ英語の訛りを指摘され、ロンドン大学大学院に留学先を変更するように言われて、留学する。アメリカで2年、イギリスで1年、会社の業務で西アフリカのシエラレオネで2年、ブラジルで1年を過ごした。なお、シエラレオネにおいてはダイヤモンド鉱山開発を手がけていたが、内戦・革命が勃発したことから帰国を余儀なくされている。

「麻生家の人間に学位は必要ない」と言われ、ロンドン大学大学院で修士論文を完成させる前に、帰国させられた。

クリスチャン(カトリック)であるが、毎年靖国神社に参拝している。終戦の日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝している(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。また、A級戦犯が合祀されていることに対しては、戦死者ではないという観点から疑義を唱えているが、政教分離などの理由もあり分祀を求めることには反対している。東京裁判を否定しているため、A級戦犯であることを理由とした分祀論はとらない。

歴史認識
・2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ、日本はハングル普及に貢献した」と述べた。
・2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
・2007年2月19日、衆議院予算委員会において米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた。
・2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか一回もない」と語った。

五輪

射撃選手としての経歴を持ち、モントリオールオリンピックに日本代表選手として出場(結果は41位)、第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。
なお、このときの映像が取り上げられていたが格好よかった

そして「麻生」と言えば漫画

漫画が大好きで、漫画雑誌のほとんどを読み流していると語っており、週に2,30冊のコミック雑誌を読むともいわれている。好きな作品は『ゴルゴ13』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ドラゴンボール』『のだめカンタービレ』他多数。『NEWS23』出演の際は、「『ビッグコミックオリジナル』の『風の大地』が好き」と発言している。また、空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという真偽不明の2ちゃんねるの書き込みがインターネットで話題となり、一部のオタクから『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』とあだ名された。麻生は『ローゼンメイデン』について「少女漫画だろ?」とインタビューで答える(本当は少女漫画ではない)など、本当に読者かどうかは明らかになっていない。
自身のサイトに『ビッグコミックオリジナル』2003年7月2日増刊号のインタビュー(麻生太郎 コミックを語る)が収録されているが、それによると週10〜20冊の漫画雑誌を読み『ジパング』や横山光輝版『三国志』、『風の大地』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『ゴルゴ13』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などがお気に入りで、必ず自分の車内には最新の週刊コミック誌を置いているほどであるという。

略歴

1966年8月 - ロンドン大学を中退し、麻生産業株式会社に入社。
1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。←注目
1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
1990年3月 - 自由民主党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
1992年12月 - 自由民主党外交部会長(1993年8月まで)。
1996年11月 - 国務大臣経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。

1999年1月 - 自由民主党内で長年所属した宏池会離脱〜元総裁河野洋平を会長に大勇会旗揚げ(学習院で初等科〜政治学科卒業まで1年先輩の亀井久興も旗揚げ参加。亀井は後に会長代行となるが、2005年8月離党し国民新党を結成、初代幹事長に就任)。

1999年3月 - 自由民主党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
2001年1月 - 国務大臣経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
2001年4月 - 自由民主党総裁選挙に出馬し小泉首相、橋本元首相と戦い31票で3位(立候補届出人は相沢英之)。
2001年4月 - 自由民主党の政務調査会長(2003年9月まで)。
2003年9月 - 総務大臣に就任。
2003年11月 - 総務大臣に再任。
2004年9月 - 国民スポーツ担当が追加。
2005年10月 - 外務大臣に就任。
2006年9月 - 2006年自由民主党総裁選挙に出馬し安倍官房長官、谷垣財務大臣と戦い136票で次点となり、落選(立候補届出人は松本純及び稲田朋美)。
2006年9月 - 外務大臣に再任。

2006年12月 - 為公会(麻生派)を設立し、会長に就任。

2007年3月20日 - 在職25年となり永年在職議員表彰を受ける。
2007年8月27日 – 安倍改造内閣において自由民主党幹事長に就任。
2007年9月-2007年自由民主党総裁選挙に立候補。(推薦人代表は鳩山邦夫)

著書
タグ:麻生太郎
posted by 切葉鳩 at 01:15 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | めも
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